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2185 諸悪の根源マンセー日弁連47

匿名希望
民事訴訟法の文書提出命令規定改正に関する決議(1999年6月8日)
 1998年(平成10年)4月に国会に提出された「民事訴訟法の一部を改正する法律案」は、今第145国会まで継続審議となっていたが、本年5月7日の情報公開法の成立に伴い、ようやく本格的審議が始まろうとしている
 1996年(平成8年)6月に新民事訴訟法が成立したが、その法案にあった公文書の文書提出命令の規定に関する部分は、公文書の提出を監督官庁の承認に係らせるという不当な内容であったために国会審議において削除された。そして、この部分については、附則で、情報公開制度の検討と並行して検討し2年を目途に必要な措置を講ずることとされ、「不合理な官民格差を設けない」、「司法判断を尊重すること」などの附帯決議が付せられた。新民訴法は、昨年1月1日から施行されたが、公文書は文書提出義務の対象外とされたままになっており、裁判実務にも支障を生じている。一日も早い、公文書を文書提出命令の対象とする法改正が求められる事態となっている。
 しかしながら、現在審議の対象となっている改正法案は、上記附帯決議の趣旨に照らして大きく後退しており、重大な欠陥を含んでいる。
 第一の問題は、「刑事訴訟記録及び少年事件記録の一律除外規定」である。本改正法案は、公文書・私文書の別を問わず文書提出義務の一般義務化を規定しながら、刑事訴訟記録等についてはその内容にかかわりなく一律に文書提出命令の対象外としている。これは、文書提出義務の一般義務化を後退させ、不合理な官民格差をもたらすものである。
 この規定によれば、犯罪被害者の損害賠償訴訟、廃棄物不法投棄責任や製造物責任を問う訴訟、企業経営者の不正を追及する株主代表訴訟、薬害・公害訴訟等において必須の重要証拠となる刑事訴訟記録等が、一律に提出命令の対象から除外されることになる。法務省は、文書送付嘱託や刑事確定記録法などで足りると主張するが、文書送付嘱託等では、記録を保管する行政庁等の判断により民事訴訟への記録提出が拒否される例が少なからずある。
 文書提出命令の対象としなければ、行政的判断によって民事訴訟に記録が提出されず、民事上・行政上の責任を追及しようとする被害者や市民にとって権利救済上の大きな障害となることは明らかである。真実に基づいた適正な民事訴訟の実現のために、刑事訴訟記録等を提出命令の対象とすることが、どうしても必要である。
 刑事訴訟記録等には、関係者のプライバシーの侵害につながる情報が含まれるため、その利用に当たっては裁判所の適切な配慮が必要であるが、本改正法案のように刑事訴訟記録等を一律に除外するのではなく、民事訴訟上の必要性をも勘案してその採否を民事裁判所の判断に委ねるのが相当であり、上記附帯決議の趣旨にも合致する。
 この規定は、足かけ6年に及ぶ法制審議会の民訴法改正論議の中でも、また新民訴法公布後2年近くの再検討の期間にもほとんど議論されないまま、二度目の法制審議会民訴法部会における審議の最終段階になって突然提案され法案に入れられたもので、その手法は非民主的で審議会軽視も甚だしく、手続的にも極めて問題である。
よって、刑事訴訟記録等の一律除外規定は、削除されるべきである。
 第二の問題は、公務秘密文書を「その提出により公共の利益を害し、又は公務の遂行に著しい支障を生じるおそれのあるもの」と定義している点である。従来の判例では、公務秘密とは、「国家の利益又は公共の利益に重大な損失又は不利益を及ぼすもの」とされているのに対し、秘密の範囲が拡大されている。「おそれがあるもの」という要件もあいまいであり、より厳格に規定すべきである。
 以上の他に、公務員の自己使用文書を一律に除外する規定は不合理であり、また防衛外交・犯罪捜査関連文書について「監督官庁の提出義務がない旨の意見について相当の理由があると認めるに足りない場合に限り提出を命ずることができる」とする規定も、裁判所の司法判断を事実上排除する結果となりかねず、上記附帯決議の趣旨に反するものである。
このように、本改正法案は内容においても手続においても極めて大きな問題をはらむものであり、慎重審議のうえ以上の点について修正を加えるべきである。
以上のとおり、決議する。
1999年(平成11年)6月8日
京都弁護士会
匿名希望
「無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律案」についての声明(1999年12月2日)
1 本法案は、無差別大量殺人行為を行った団体による当該行為の再発防止を目的とし(1条)、具体的にはオウム真理教を対象とするものと言われている。
 なるほど、サリン事件をはじめとする被害関係者らの怒りや関係自治体住民の不安が表明されており、何らかの対策が望まれていることは理解できる。しかし、本法案には以下に述べるとおり多くの問題があり、本法案の制定が適切な方法であるかは、さらに十分な検討を要する問題である。
2 本法案による規制措置の観察処分(5条2項)では、定期報告義務を課し、令状なしの立入検査(7条2項、13条2項)を認め、その拒否に対し1年以下の懲役刑が課され(38条)、再発防止処分(8条2項)では、土地建物の取得や使用、役員の団体活動、加入の勧誘、現金等の受贈がすべて禁止される。これは、およそ団体としての活動を事前かつ広汎に禁止するものであり、憲法の保障する「結社の自由」(憲法21条1項)「住居の不可侵」(憲法35条)「居住の自由」(憲法22条1項)「適正手続の保障」(憲法31条)など、基本的人権を著しく制約するものである。
 観察処分の要件(5条1項)や再発防止処分の要件(8条1項)は、例えば、無差別大量殺人行為当時の役員が現在の役員であれば足り、破防法と異なり必ずしも将来の危険性を問わない点で破防法以上に問題である。
3 公安審査委員会は、オウム真理教に対する破防法7条に基づく解散指定請求に対し、1997年1月31日、「将来さらに団体の活動として暴力主義的破壊活動を行う明らかなおそれ」が認められないとして棄却決定をしている。現時点において「無差別大量殺人事件の再発防止」を目的に本法案を制定すべき具体的必要性(立法事実)が存在するかについて、十分に検証されているとは言い難い。
4 本法案は、11月2日の閣議決定からわずか2週間余りで衆議院を通過した。衆議院 では一部修正がなされたが、上記の問題は依然残されたままであり、本法案についての 論議以前にその具体的内容すら周知されていないのが現状である。本法案が、破防法の 特別法として広く市民の重要な基本的人権に多大な影響を及ぼすものであることに照ら すと、これは極めて憂慮すべき事態である。
よって、本法案については、市民的な議論を十分に尽くすべきであり、本国会における拙速な採決を避け、冷静かつ慎重な審議を強く求めるものである。
1999年(平成11年)12月2日
京都弁護士会
会長 村 山 晃
匿名希望
教育基本法改正に反対する会長声明(2006年9月15日)
政府は,教育基本法改正法案を閣議決定し,すでに前国会においては衆議院での審議が開始された。同法案は継続審議となっているが,当会は,以下のとおり,教育基本法の改正には反対である。
 文部科学省の説明資料は,教育基本法の改正理由を,「近年,子どものモラルや学ぶ意欲の低下,家庭や地域の教育力の低下などが指摘されており,若者の雇用問題なども深刻化しています。このような中で,教育の根本にさかのぼった改革が求められており,・・・国民全体で教育改革を進め,我が国の未来を切り拓く教育を実現していくため,教育基本法を改める必要があります。」と説明している。
 しかし,そもそも子どもを取り巻く種々の問題があるとしても,それが現行教育基本法の不備によるものであるとは考えがたく,教育基本法「改正」の前提となる立法事実の検証は不十分である。例えば,国際連合子どもの権利委員会は,1998年には,日本政府の報告書に対し,「児童が,高度に競争的な教育制度のストレス及びその結果として余暇,運動,休息の時間が欠如していることにより,発達障害にさらされている」と指摘して,適切な措置をとることを勧告し,2004年には,この勧告について,「十分なフォローアップが行われなかった」と再度指摘している。しかし,こうした現状は,現行教育基本法の改正によって解決されるものではなく,むしろ,現行教育基本法の理念が十分に生かされることによって解決されるべき課題であって,あえて今,これを改正しなければならない必要性は認められない。
 加えて,教育基本法改正法案は,次のとおり,様々な問題点を有している。
改正法案の前文は,現行法の前文にはない「公共の精神を尊び」「伝統を継承し」との文言を新たに加えている。また,改正法案は,教育の目的を定めた現行法第1条から「個人の価値をたつとび」の文言をはずし,「必要な資質を備えた」の文言を新たに加えている。このように,憲法の基本理念たる個人の尊厳を教育制度においてあらためて確認した現行法の「個人の価値をたつとび」の文言を,教育の目的からはずし,逆に,解釈・運用によっては個人の尊厳と対峙する場面もあり得る「公共の精神」や「伝統」を前面に押し出していることから,改正法案が,教育における個人の尊厳の理念を大きく後退させ,国家にとって都合のよい人材育成の手段としての教育を推進しようとするものではないかと懸念される。
 次に,改正法案の第2条は,その第5号において,「伝統と文化を尊重し,それらをはぐくんできたわが国と郷土を愛する・・・態度を養うこと」としている。しかし,「伝統」「文化」という本来多義的な概念について,これらを尊重する態度の養成を法律上の教育目標と定めることは,教育の現場においては,その意味を一義的なものとして指導しその達成度を評価するということにならざるを得ない。「国と郷土を愛する・・・態度を養うこと」についても同様であり,改正法案によれば,価値的な概念・多義的な概念を,国の定める一義的な内容として教え込むことになりかねない。すなわち,本来多義的概念である「愛国心」が,改正法案のもとでは,国の定める一義的な概念に収斂されていくおそれが強い。
 したがって,かかる規定は,「愛国心」の強制にもつながりかねないものであり,憲法第19条が保障した思想及び良心の自由を侵害するおそれがある。例えば、国旗及び国歌に関する法律については、当時政府が強制しないと説明していたにもかかわらず、現在東京都の学校で、起立・礼・斉唱などが一律に強制される事態となっている。教育基本法が制定された場合、同様に、「愛国心」などの強制が全国に広がるのではないかとの懸念を払拭できない。
 また,「わが国」を愛する態度を養うことを目指す教育は,在日外国人の思想・良心の自由を侵害するおそれもある。
 さらに,改正法案の第16条第1項は,現行法第10条第1項の「教育は・・・国民全体に対し直接に責任を負って行われるべき」の部分及び同条第2項を削除して,「この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべき」との文言を加え,第17条において,政府が教育振興基本計画を定めるものとしている。しかし,そもそも現行法第10条は,戦前の国家統制教育に対する深い反省から,教育の自主性を尊重し,教育に対する不当な支配・介入を抑止すべく規定されたものであって,だからこそ,同条2項において,教育行政の目標を,教育目的の遂行に必要な諸条件の整備確立に限定している。改正法案は,「不当な支配に服することなく」という文言を残しつつも,上記現行法の規定を削除することによって,教育に関する国の国民に対する責任を曖昧にし,法律の規定や政府の教育振興基本計画の定めによる教育現場への国家介入・国家統制を容易にするものであり,現行法第10条の趣旨を没却しかねない。
 このように,教育基本法改正法案は,そもそも立法事実の検討が不十分である上,その内容も,日本国憲法の掲げる個人の尊厳の理念を覆滅しかねない様々な問題点を有するものである。
よって当会は,同法案に反対し,これを廃案にするよう求めるものである。
2006年(平成18年)9月15日
京都弁護士会
会長 浅 岡 美 恵

匿名希望
「朝鮮学校に通う子どもたちを高校無償化の対象から排除しないことを求める会長声明」(2010年3月16日)
今国会に上程された「公立高等学校に係る授業料の不徴収及び高等学校等就学支援金の支給に関する法律案」(以下「高校無償化法案」という。)について、現在国会で審議がなされている。この法案においては、「高等学校の課程に類する課程を置くもの」として文部科学省令で定める各種学校についても対象として規定されている(第2条1項5号)。
 報道によれば、当初、高校無償化法案については、各種学校として認可されている外国人学校をもその適用対象とすることが念頭に置かれていた。ところが、中井洽拉致問題担当相が、拉致問題とからめて無償化の対象から朝鮮学校を外すよう川端達夫文部科学相に要請したことをきっかけに、朝鮮学校に通う子どもたちを本法案の対象外とする動きが表面化することになった。
 しかしながら、朝鮮学校が各種学校としての認可を都道府県知事から受けており、教育課程の確認が容易であること、現在、ほぼ全ての大学において「高等学校を卒業した者と同等以上の学力がある」として朝鮮学校卒業生の受験資格が認められ、現に国公立をはじめとする多くの大学に朝鮮学校卒業生が進学していることからすれば、朝鮮学校が「高等学校の課程に類する課程を置くもの」に該当することは明らかであり、朝鮮学校に通う子どもたちのみが無償化の対象から排除されるべき理由はどこにもない。
 それにも関わらず、国公立及び私立学校、そして専修学校、インターナショナルスクールや中華学校等の各種学校が無償化の対象となる中、朝鮮学校に通う子どもたちのみが無償化の対象から排除されることは、子どもの権利条約、人種差別撤廃条約及び国際人権規約の禁止する差別にあたることはもとより、憲法第26条1項及び第14条1項に反するものである。また、「教育の機会均等に寄与すること」(第1条)を目的とする同法案の趣旨とも全く相容れないものである。このような子どもたちの教育を受ける権利に関する問題が、拉致問題等の政治的理由により左右されるべきでないことは言うまでもない。
 以上の理由により、当会は、朝鮮学校に通う子どもたちを高校無償化の対象から排除しないことを強く求めるものである。
2010年(平成22年)3月16日
京 都 弁 護 士 会
会 長 村 井 豊 明