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2063 あしながおばさんチュチェな人々③

≪チュチェな人々③≫
■朝鮮の自主的平和統一支持日本委員会■
●朝鮮会館売却許可は「外交代表部的役割」の否定(朝鮮新報2014.5.14)
朝鮮の自主的平和統一支持日本委員会の代表が14日に内閣府を訪れ、安倍首相宛ての要請書を提出。総聯と在日朝鮮人に対する不当な政治的および経済的弾圧を中止し、民主主義的民族権利を保障するよう求めた。
東京地裁は今年3月、総聯中央本部の土地・建物(朝鮮会館)に関し、株式会社マルナカホールディングス(香川県高松市)への売却許可を決定。総聯中央は執行抗告していたが、東京高裁が12日、これを棄却した。
朝鮮統一支持委要請この日、同委員会の日森文尋議長、水谷研次事務局長、北川広和事務局次長が提出した要請書では、朝鮮会館は「在日朝鮮人の権利と利益を保障するために活動拠点」として朝鮮の「実質的な外交代表部的役割」を果たしてきたとしながら、売却許可はその「役割を全否定するものと同等」だと非難した。
▼水谷研次
元・東京都労働委員会労働者委員(1995~2011年)。1977~1991年まで江戸川区労協・墨田区労連オルグ。1991年連合東京入局、最後は副事務局長。2009年60歳で定年退職=再雇用により労働委員専念を選択。『知らないと損する労働組合活用法』(東洋経済新報社)を鴨桃代さんと出版。現在は『労働情報』誌編集委員など労働ボランティア。他には、朝鮮の自主的平和統一支持日本委員会事務局長など(『現代の理論』13号2017年夏:著者紹介より)
▼北川広和
ハンギョレの2015.3.1の記事中に登場した際は61歳との記述。まだまだバリバリの現役。この名前は知らずとも、あの件は記憶している方も多いと思います。ウィキより転載。
———–(転載開始)————-
社民党機関誌『月刊社会民主』1997年7月号では、社会科学研究所「月刊日韓分析」編集員の北川広和の論文「食糧支援拒否する日本政府が掲載され、次のような記載がなされた。「拉致疑惑の根拠とされているのは、つい最近、韓国の国家安全企画部(安企部)によってもたらされた情報だけである」「産経新聞に掲載された元工作員の証言内容に不自然な点がある」。従って「拉致疑惑事件が安企部の脚本、産経の脚色によるデッチあげ事件との疑惑が浮かび上がる」。「20年前に少女が行方不明になったのは、紛れもない事実である。しかし、それが北朝鮮の犯行とする少女拉致疑惑事件は新しく創作された事件というほかない。……拉致疑惑事件は、日本政府に北朝鮮への食糧支援をさせないことを狙いとして、最近になって考え出された事件なのである」。2001年、日本人拉致事件が明るみに出て以降も同論文は同党の公式ホームページに掲載され続けた。
(中略)
2002年10月3日の常任幹事会後の記者会見で、保坂展人総合企画室長(当時)は、「党の見解と同一かを確認したことはないが、なるべく早い時期に見解を出したい」と述べ、当面は掲載を続ける考えを示した。しかし、既に当該論文の内容や社民党における取り扱いなどが、マスメディアによって周知されており、この党の対応に対しては、党員からも抗議が殺到、保坂は「論文が拉致がなかったという内容で、家族の気持ちを思うと不適当だと判断した。今日、執筆者と連絡が取れ、削ってもいいという了解をもらった」 として、論文の削除を行った。
———–(転載終了)————
以下ウィキを編集抜粋。
・その直後、田嶋陽子が「(拉致事件という)現実に対する対応にスピード感も柔軟性もない」と批判し、離党を表明すると、福島瑞穂幹事長(当時)は「当時の状況下における個人論文で党の見解ではない」と釈明し、土井たか子党首(当時)は「(朝鮮労働党との間で)拉致問題を取り上げなかったわけではないが、追及が十分とは言えなかった。被害者の家族には申し訳ありませんと、お詫びしたい」と謝罪。
・安倍晋三内閣官房副長官(当時)
「いかにも(自分が)昔から取り組んでいたかのように、小泉純一郎首相の決断を批判するのは、ちゃんちゃらおかしい。まずは反省するべきだ」「警察も外務省も対応が冷たく、新聞もどこも報道しなかった。それどころか社民、民主の議員は『いいかげんなことを言うな』とわめいていた」
・拉致被害者家族の有本嘉代子
「社民党ですか? 私、あれ日本の政治家と思ってませんよ。あれは北朝鮮の政治家です。」
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↑土井たか子は1987年9月24~28日の金日成との会談で、「朝鮮革命と社会主義建設の偉業を輝かしい勝利に導かれ、朝鮮の自主的平和統一、アジアと世界の平和の為に類なき貢献をつくしておられる偉大な指導者金日成主席を私は心から尊敬し、万年長寿を祈り、今後の友誼を願って、私の発言を終えたいと存じます」と言ってます(ブログ「覚え書き」より)。
ここを見ている工作員もいると思うので、長くなりますがその後の展開もあえて載せます。
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・2002年(平成14年)9月17日、金正日国防委員会委員長が、一連の拉致事案や工作船事案を認めて謝罪した事で、状況は一変する。マスメディアは連日、日本人拉致問題を報道して北朝鮮を激しく糾弾し、国民の多くは対北朝鮮制裁を強く訴えるようになった。大韓民国の東亜日報は、当時の日本国民の激怒ぶりを「憤怒」と報じた。
報道におけるタブーとして有名であった「北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国…(以後、北朝鮮と呼称する)」という呼称方法が一斉にマスメディアから姿を消し、単純に「北朝鮮」と呼称する様になった。
・北朝鮮に対して、比較的友好的な立場を採っていた人々は、日本の世論の大転換を目の当たりにして、日本人拉致事件について言及せざるを得ない状況に追い込まれ、また日本人拉致事件を『捏造』『デッチ上げ』と主張していた人々は、事実認識の誤りを撤回して、謝罪を迫られる状況に追い込まれた。なお、アントニオ猪木のようにこの世論の大転換を疑問視する発言をしている者もいる。
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↑マスコミをコントロールする輩はこのときのことを学んだんでしょうね。より蚕食を強め、ミサイルを飛ばされても、中国軍艦が領海を侵しても、騒がないようにうまいこと仕込みあげた。しかし、反比例してインターネットが発達し、埋もれた情報が表に出て、今や日本人の感情としては、実質当時を上回っているんじゃないでしょうか。
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・日本人拉致問題を「でっちあげ」と言い続けてきた在日本朝鮮人総聯合会は、本国に梯子を外された格好となり、急遽記者会見を開き火消しに奔走したが、時既に遅かった。同時に「拉致事件に怒りを覚えた一部の日本人によってチマチョゴリを着用した女子生徒への嫌がらせ事件(チマチョゴリ切り裂き事件)や朝鮮学校生徒への暴言・暴行がある」と、朝鮮総連は主張したが、日本の警察は、それらの事件について、政治的背景はないと判断した。
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↑「チマチョゴリ切り裂き事件」はウィキにページがありますが、そこにも大半がでっち上げであり、「日本国内の関心が政治問題(北朝鮮の核疑惑)から人権問題(朝鮮学校女子生徒への迫害)に移ったことを指摘し、(被害状況やマスコミ報道を利用した)朝鮮総連側の政治的キャンペーンだったと感じている」という見解があります。

■金正日総書記推戴の祝賀宴に参加した主な日本の各界人士リスト■
「親北韓紳士録」ttp://www.geocities.jp/p_tokorozawa/intel/int12c.htm より。
面倒なので名前だけ。
●1997年10月23日に東京で行われた祝賀宴の出席者です。(1997/10/28 朝鮮新報より)
<議員関係>
野中広務(自民党幹事長代理) 土井たか子(社民党党首)
鳩山由紀夫(民主党幹事長)  中山太郎(自民党外交調査会会長)
伊藤茂(社民党幹事長)    堂本暁子(新党さきがけ議員団座長)
石井一(新進党幹事長代理)  久保亘(民主改革連合最高顧問)
矢田部理(新社会党委員長)  林義郎(元蔵相)
他国会議員
谷洋一 久野統一郎 馳浩 上原康助 大脇雅子 田英夫 清水澄子
中西績介  海江田万里 大畠章宏 肥田美代子 金田誠一 山元勉
梶原敬義  伊東忠治 山崎力 鈴木正孝 坂上富男 武田邦太郎
細川律夫 常田享詳
<有識者等>
鈴木二郎(日朝国交正常化促進国民フォーラム代表委員)
森田三男(創価大学教授)、
三潴信邦(筑波大学名誉教授) 前田哲男(東京国際大学教授)
田辺誠(AFM代表)
津和慶子(日本婦人会議議長)
尾上健一(チュチェ思想国際研究所事務局長)
若林?(朝鮮統一支持日本委員会事務局長)※コピー元で文字化けです
多々良純(日朝文化交流協会副理事長)
竪山利文(元連合会長)
花輪不二男(チュチェ思想研究会全国連絡協議会事務局長)
中小路清雄(日朝学術教育交流協会会長)
<マスコミ>
近藤龍夫(朝日イブニングニュース社長) 滋野武(NHK報道局長)
石川一彦(日本テレビ報道局長) 三辺吉彦(TBS報道局長)
早川洋(テレビ朝日報道局長) 渡辺一彦(テレビ東京報道局長)